上手に忘れて

『今、幸せですか?』

153:52。

出勤の車、ウォークマンのシークバーを操作する。ライブBlu-rayから音声だけを抜き取ったmp3ファイル。朝起きて、会社に行って、会社から帰って、寝る。ただ生活をしているだけで悲しみはそこここに積もる。失った何かを取り戻すように何度も何度もその場所から再生を始める。

「WUGを見つけてくれてありがとう」

「出会えて本当に良かった」

「私を信じて付いてきてください」

「無駄なものは何もなく」

「私を声優にしてくれてありがとう」

「これからも元気で生きてください、大好きです」

現実のしんどさに比例するかのように鮮やかに蘇る想い出たち。虚ろな視線で信号の赤を眺め、ふと、七人も、みんなも、こんな風に思い出す時があるのだろうかと思う。

あの日、確かに頷いたその問いかけに、応えられないでいる今、目に映るものを、聴いたことを、心に残った景色を、そのまま書き遺そうと思います。

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『紆余曲折があって、そしてまた第二章がどこかで待っているのかな』
山下七海のななみんのねごと 第二回 (2019年3月21日放送)

「私はいつあの3月8日を越えられるのかっていうのを凄く考えるなあ」SSA後最初の生放送にて山下七海さんから発されたその言葉に、僕も全く同じ意見だった。これからの時間は、第二章を、WUG以上を探すための永い旅路の途中なのだと、そう思う。わかっていても立ち止まることしかできない僕をよそに、彼女は離れていく。

 

『あの人、最近イベントで見かけないなあ』
かやたんのあくありうむ限定ボイス(2020年2月3日配信)

「4月からも私のことを応援してくれる人が、果たしてどれくらいいるんだろう?」ベッドに横になりながら発される少し擦れたその声は、かやたんの感情がそのまま鼓膜に届くようにさえ感じた。
今でも鮮明に思い出されるKADODE仙台2日目昼公演、MCであいちゃんのHIGAWARI PRINCESSがいつ以来かという話になった際に、それが自分にとってあまりに特別な日だったため、感に堪えなくなり「1年!」と声を上げた時のことだ。よっぴーとかやたんが最前列にいた僕の所に来たのだ。まるでステージ上のメンバーに近付くように、本当にごく自然に。

「何の公演だったっけ?」「チャ、チャリティー、、」「そっかありがとね!」

呆然としながらも、その時に改めて悟った。ああこの人たちは本当にワグナーを信頼してくれているし、特にこの二人はオタクに対しての境界線というものをとっくに取っ払ってしまっているのだと。

そんなかやたんに、解散がもたらしたのは、どんな時間だったのだろうか。

WUG解散後、七人同様、ワグナーの進む道もまたそれぞれだった。「ワグナーの解散」と冗談交じりに悲しんだのは、もしかしたらワグナーだけではなかったのかもしれない。

 

『あの一瞬で「ガチ恋」に落ち、人生で至上の体験を得た』
株式会社VARK 取締役就任のお知らせ(2020年10月8日)

はじめ、なぜそのツイートが拡散されているのかわからなかった。記事を読み、驚きと嬉しさでいっぱいになりながら、これこそが「あるべき第二章」なんだろうなと思った。次の感動の原体験を生み出すこと。貰った恩を返すこと。この人は、WUGを糧にし前を向き、そして上手にフライトしたのかもしれないなあと羨ましさを隠せなかった。

 

『そういえば、ライブの夢見た。』
@yoshioka_mayuC(2020年10月14日)

お昼休み、ふと投稿されたまゆしいのツイートに、多くの人が答えた。「みんなって誰だろう」

わかっているくせに問うてしまう。

 

『前向きな気持ちで送り出すだけにしちゃうと、それに取り残されてしまう人もいるのかもしれない』
シンセの大学『田中秀和のあたまのなか』(2020年10月23日放送)

田中秀和さんとは、コロナウイルスの騒動がなければ、本当の意味で出会えてなかったのかもしれない。彼の素を知るきっかけはYouTubeチャンネルの開設だった。淡々と話る声は温かく、七人への想いやファンへの誠実な姿勢は、いつしか日々に潤いをもたらす存在となった。2020年3月8日のTwitterでの投稿、シンセの大学でのゲスト出演と、触れれば触れるほど彼の人間性に魅了された。土曜日のフライトに込められた「解散後も淡々と続いていく日常の、ネガティブな気持ちに寄り添える曲になったら」という想い。ユニットから離れれば離れるほどに魅力を増す、解散により命を宿し今なお鼓動を続ける、そんな曲だ。

 

『素敵だったんですわ、私達って』
鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイト(2020年11月2日放送)

解散前、何かと伝説を生んだ鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイトに初めて一人で出演された青山吉能さんを見て、そういえばこの人は、いつもステージ上でマイクを通してワグナーの気持ちを代弁してくれる人だったなあと思い出した。ふと彼女のWikipediaを見返してみると2019年以降も数々の出演作と黒太文字のキャラクターたち。外からは役者として着実にキャリアを駆け上がっているように見えても、内側から見える景色はきっと違う。

ユニット解散後って、その頃の輝きが強ければ強いほど、なんとなくユニットの話ってしにくかったりする空気になりそうですが、むしろそうやって置き去りになった自分の心にそのまま寄り添ってくれる、そういえばWUGってそういうコンテンツでしたね。

いつだって境界線の「こっち側」に来て、気持ちを言葉にしてくれるよっぴーに背中を押してもらえたから、こうして素直な言葉を綴れるような気がします。全然上手に忘れられない。頭の中のわっしーがツッコミを入れる。

 

「お前すごい引きずってんな!」

 

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『いつでも帰っておいで』

 

 

その当時に知ったような気になって共感した感情が、実は全然重なっていなかったのだと最近思います。

一年ぶりに実家に帰ったら更地になっていました、助手のコ口です。

なんてことない、来年の三月のリフォーム完了まで一時的に借り家に避難しているとのことです。徒歩数十秒の所にちょうど一軒家を貸してくれる人がいたなんて数奇なこともあるものです。

実家への帰路、8ヵ月ぶりに乗った電車は、マスクをしていない人がいない、寒風が入り込むのに窓が空いているなど挙げていけばちょっとした違和はあったのかもしれませんが、少なくとも僕の目には8ヵ月前と何も変わらぬ日常がそこにあるように感じました。最寄り駅には退屈そうな父の姿が。学生の頃なら辟易していた四輪駆動車の出迎え付きVIP待遇に今は少し安堵している自分がいました。

運転手に任せるまま到着した仮宿で恐る恐る敷居をまたぎましたが、カビだらけ埃だらけモノだらけの旧家を思うとなんと綺麗なんだと。中に詰まれた段ボールは極力解体しない方向のようで、そのおかげか室内も珍しく適度に秩序だっていました。間取りは変わってもテレビの前という正ポジションは誰にも譲らない、そんな変わらない母の姿に、ああ帰ってきたのだなあと。

「いつかは自宅を図書館に」が口癖の母が収集した本・マンガ・CDは収納ボックスのまま移動させたのか壁に陳列されていて、第三の壁と化していました。そんなCDラックの先頭にはまさかの煉獄さんが。よもや鬼滅ブームが、LINEもやっていないような昭和と共に置き去りにされたような我が家にまで来ていたとは。朝から晩まで放映しているにもかかわらず劇場のチケットが取れないと嘆く声を聴くと、同じように朝から晩まで放映していながら土日だろうとガラガラな岐阜の劇場との地域格差を感じずにはいられませんでした。

本日お泊りする部屋には既に布団が敷いてありました。なんとも至れり尽くせりなことで。ロフトに続く梯子には洗濯物を干すあれがかかっていて、ロフトとはどうしてかくも肩身の狭い存在なのだろうかと寂寞の思いに。着替えを持って僕のために沸かせてあるお風呂に向かいます。

一日ぶりの湯船に浸かり、久しぶりの公共交通機関による疲れを洗い流します。用意された寝間着にそでを通し、鏡の裏にある魔法のような収納に隠されたドライヤーを慄きながら使用していると、晩御飯の準備が整いました。

八時過ぎたら炭水化物は食べない、太るし節約だ。と普段なら心を女性声優にしている僕ですが、今日の今日、実家にいる時くらいと大好物の山盛り餃子、酢の物、ほうれん草の胡麻和えをモリモリと食べ、久方ぶりに摂取した高カロリーを存分に消化しました。帰省のたびに毎回作ってくれる母の餃子は、学生の頃から変わらないボリュームで、そんな時、自分はいつまで経っても子どものままなんだと気づかされます。夕食の席では父と仕事の話を弾ませました。40年近く会社にその身を捧げてきた男は、社会に出て3年目の若造の悩みをうんうんと聴いて、沢山の正論で返してくれました。食後にハーゲンダッツを食べながら、お茶を啜りながら、ご当地あるあるを繰り返すお笑い番組を3人で眺めながら、ただただ時間を過ごしました。こっそりと翌日の高速バスの予約をすませ、さも決まっていたかのように明日の出発時間を伝え寝室に向かいました。お供に鬼滅の刃を抱えて。布団越しの床の硬さを感じながら眠りにつきました。

5時50分、いつものように目を覚まします。ドラキュラ生活をしている母が寝坊をしないように夜を徹していることは承知の助。出発の9時までまだ時間がありました。僕は母と話をしました。いつの間にか父も起きてきました。母が作ってくれた、胃もたれしたお腹に優しい出汁の香りのするうどんを二人で啜りました。

玄関を開けなくてはいけない時が来て、両親に見送られる時、止まらなかった涙を見られたくなくて、すぐに前を向きました。

仕事を休職して、毎日つらくて、でも何で上手くいかないのか、何がつらいのかもわからず、誰も頼ることができず一人で抱えて、悩んで。それでも時は寄り添って立ち止まってはくれなくて。

本当に嬉しくて本当に悲しくて本当に申し訳なくて。こみ上げてくる気持ちが抑えられなくて。自分は一人じゃないんだという安心感が。この安心は、当たり前のものじゃないんだと、僕のことを自分のこと以上に想って大切にし続けてくれてる人がいるからなんだと。そしてこの温もりは永遠じゃないんだという残酷さが。もう与える側にならなくてはならないのに、27にもなって未だにこんな自分でいることのもどかしさと悔しさが。どうしても忘れたくなくてこれを書きました。自分のために。忘れないために。

 

あの日、SSAのステージで泣きながら、震える手で手紙を読み上げる7人の気持ちが、今ほんのちょっとだけわかったような気がしました。

HOMEの意味が、こんな自分のことをそう呼んでくれたことの意味が、あの頃より切実に染みる気がします。

玄関で見送る両親の、子どもの頃よりずっと増えた皺や白髪を見て、土曜日のフライトの切ない音が胸に流れました。