さようならのパレード あとがき

 

「私が一番泣いたのは、解散を決めた『あの日』です」

 

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 3次元のWUGちゃんが解散しているのに2次元のWUGが解散していないことが、ずっと引っかかっています。こうやって実際に2次元のWUGの最後を拙いながらに想像し、認めてみると、改めて、3次元のWUGちゃんの解散に向かうまでの軌跡と最後の舞台は、あまりに物語として出来過ぎていて、故に2次元に落とし込むことに何もストレスがありませんでした。

 いわゆるWUG組曲をアニメの世界で創るのはそれぞれ誰なのか?色々な議論があり盛り上がりそうなテーマだと思いますが、以前オタク早口プレゼン(詳細は2日前の記事をご参照ください)関連で「さようならのパレードを創ったのは松田」という解釈ツイートを見たその瞬間に今回書いた文章が、ほぼ全部脳内で完成しました。松田が曲を創るなら、絶対それを促すのは早坂だろ。それをやるタイミングがあるとしたらそれは曲を松田が早坂に依頼した返す刀だろ。松田は早坂さんの言葉とWUGちゃんとの想い出を反芻しながら、やがて曲を創るに至るなって感じで。それくらい、自分の中であまりに「さようならのパレードを創ったのは松田」説はハマりました。WUGちゃんに対しての「さようならはいやだよ」という言葉が、結成からずっと、どんな時でも一番近くで見守り続けてきた松田の紡いだ言葉だと思うとグッときますよね。ちなみにタイトルは松田の子守歌ならぬ「松田のパレード」とするのもあったのですが、そうするとタイトルからネタバレしちゃうなあと思ってやめました。謎めいていたい。最初は7人に曲披露の後、リハ行くぞ、がんばっぺ、Wake Up,Girls!ってオチだったのですが、この物語は7人のものではないな、ということで加筆しました。あとはせっかくだから公式要素を散りばめたいなあと思い、大好きな完全神OPであるところのTVアニメWake Up,Girls!の映像から伏線回収したり、なぜBlu-rayに収録しなかったSSA前説のシナリオを組み込んだり(こちらはひこさんのTwitterイラストを参考にしました、貴重な資料をいつもありがとうございます。)、七人のアイドルのシーンそのまま引用したりなんだり。実際に自分でWUGの二次創作をしてみようと思うと、やっぱり色々気になってしまって少しでも「本物」になりたくて、アニメや小説版を何度も見返したり、実際に仙台までの新幹線に乗って事務所まで歩いてみたり、心の中の監督や待田先生と対話してみたり。生産側に回ると消費者側より圧倒的にインプットというか、WUGについて考える時間が増えるもんなんだなあと実感しました。

 前半は小説調で書いたのですが、後半、7人が出てくるところではあえて、舞台の台本のようにセリフのみ、どのセリフを誰が言ったのか直接明示しないようにしました。どうしても7人への没頭が自分の中で至らず、キャラが記号化してしまうのが本当に耐えられなかったので、あくまで自然な会話の中で、読み手が浮かんだ顔を当ててくれたらなあと思います。

 先述しましたが、WUGの解散に向かうまでの軌跡は本当に2次元に落とし込みやすいなあと思う一方で、どうしても結論に至らず目をそらし続けている文脈があって、それは「なぜWake Up,Girls!は解散したのか?」です。そもそも彼女たちはなぜ最後のライブをしているのか?解散理由は何か?当然落とし込めない、なぜなら知らないから。今なお。

 3次元の解散理由を知ったから2次元にはい落とし込めます、とはいかないだろうし、知らない方がいいことも多いでしょうが、最後の手紙、みにゃみから意味深に投げられた石が創った水の輪が、今も自分の心の中でざわざわと波打っています。

 なんでWake Up,Girls!は解散したんでしょう。僕らが気付けないから、彼女たちの心の悲鳴が、言葉の結晶と化してしまうまでに至ったのかと思うと、胸が苦しくなります。

 

 これも繰り返しになりますが、創作は消費の何十倍も頭の中がWUGでいっぱいになりますね。それは苦しさも伴いますが、身体がWUGで満たされて本当に幸せだったので、また何か書きたいなあと思っています。WUGちゃんがこれまで歌ってきた沢山の楽曲を、WUGちゃんはほとんど歌ったことがないままでいます。僕らのフロンティア、スキノスキル、One In A Billion etc. 。これらの楽曲が歌われるに至るまで、どんな物語があったのか、考えるだけでワクワクしてきます。

 これからの人生の楽しみとして、とっておこうと思います。

さようならのパレード

 

さようならはいやだよ 慣れることなんかない 

だけど、、、

 

 

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「以上がライブの構想になります。」

松田は一息に説明を終える。

サングラスの向こう側、早坂の表情はわからない。不機嫌なようにも、物思いにふけっているようにも見える。

「ですので、彼女たちの花道を彩る新曲制作陣として、ぜひ早坂さんにも参加頂きたいと思っています。」

無言で一点を見つめていた早坂が、ゆっくりと口を開く。

「そうか、、I-1アリーナで解散ライブか。あのおイモちゃんがね。」

「はい、GREEN LEAVES一丸となって、彼女たちの門出に、最高の音楽と舞台を用意したいと思っています。」

「なるほどね、テラ本気ってわけだ。」

早坂は不敵に笑う。

「で、君は?」

「はい?」

「君は彼女たちに何も贈らないの?」

「え、俺がですか?」

「君は、この状況に何もインスピレーションされないのかい?」

「いや、でも俺は」

たじろぐ松田に、早坂は一方的に話し始める。

 

「確かに、この物語の主人公は彼女たちだ。おイモちゃんたちは自分たちの力で道を切り開き、ここまで歩んできたのかもしれない。でもね、たとえ今は大人気のアイドルグループだったとしても、最初に誰かが創ろうとしなければこの世に存在しないんだ。それに、」

 

相変わらず早坂の表情はわからない。だが、どこかいつもより優しい口調で続けた。

「どんな一流レストランの料理人でも、親御さんの作った肉じゃがの味は再現できないものなんだよ。」

「、、、」

 

「ま、新曲の件は考えとくよ。」

「あ、ありがとうございます!詳細など改めてご連絡いたします。」

頭を下げ、早坂宅を後にする。

 

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各関係者への打合せメールを送り終えると、PCから目を離し、椅子にもたれる。もうすぐ仙台だ。早坂から言われた言葉を反芻している。

車窓からは、すっかり日が沈んだ仙台の街並みが見える。

 

『松田さーん、おなかすいた~!』

振り返ると、ツアー千秋楽東京公演を終えた7人がいる。

『みにゃみ、もうすぐ着くから我慢しなさい』

『チョコあるよ、食べる?』

『わーい、ありがとう!』

『かやた~ん、私にも私にも!』

 

「間もなく仙台、仙台」

 

『今日のライブも楽しかったね、まゆしぃ』

『ワグナーさんも、すっごく楽しそうだったよね』

『飛び跳ね過ぎて足がクタクタです~』

『ほらもう着いたから、忘れ物ないか確認して』

 

PCを鞄にしまい、座席に忘れ物がないか確かめ、降車口に向かう。

 

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改札を出てエスカレーターを下る。今日は事務所まで歩こうか。中央口から外に出る。仙台駅は、今日も多くの人が行き交う。

 

ペデストリアンデッキには、新しくオープンする居酒屋のビラを配る人たちがいた。

「よろしくお願いしまーす」

 

『Wake Up, Girls!です、よろしくお願いします!』

『MACANAでデビューライブ開催します!』

全然受け取ってもらえず、溜息を付く二人。

 

差し出されたビラを受け取る。

 

『え、貰ってくれるの!?それじゃあこれ、全部持ってってください!』

『ちょっとななみ!すみません、すみません。』

『ななみん、ズルはダメだよー』

 

ビラを丁寧に畳んでポケットにしまい、階段を下りる。

 

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ふと足をとめる。

夜の勾当台公園は閑散としていた。

野外ステージの前、誰もいない椅子に腰かける。仙台の夜はまだ寒く、吐く息は白い。

 

『さむ~い』

『見て見て、息がこんなに白いよ、はー』

『菜々美寒いの?緊張?大丈夫?』

『だび、じょぶ』

『私も緊張してきた~人の字人の字』

 

『七瀬さん』

『リーダー号令!』

『え、えっと。考えてなかった、、』

『がんばっぺ、でいいんじゃない?』

 

(そうだよな、始めはこんな小さいステージだったんだよな。お客さん全然いないし、丹下社長はいなくなるしで、ホントあの頃は必死だったよ)

 

見上げると、暗い夜の空に星が輝いていた。

金なしコネなし意気地なし。丹下社長に振り回されるだけの入社当時の自分を思い出す。今は事務所も人が増え、気付けば部下を持つようにもなった。競争の激しい業界の中で頑張り続ける彼女たちを間近で見て、自分も少しずつ成長できたのかな。

(これまで沢山の景色を見せてくれたあいつらのために、俺は何ができるのかな)

彼女たちが彼女たちでいられる最後の時を、ずっと先の何億光年も7人を照らしてくれる想いを、これまでの感謝を、届けたい。

 

「『がんばっぺ!』」

 

立ち上がり、スマホを取り出す。

「もしもし、俺だけど。久しぶり。急に悪いんだけどさ、折り入って頼みたいことがあるんだ。」

 

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事務所には久しぶりにメンバー全員、丹下、松田が顔を揃える。

「みんな、集まったな。それでは、これから、Wake Up, Girls!ファイナルライブに向けた新曲が各制作メンバーから届いたので、みんなで聴こう!」

「ワクワク!」

「1曲目のタイトルは海 そしてシャッター通り。この曲はBeyond the Bottomを書いてくれたサファイア麗子さん作曲と、なんと丹下社長が直々に作詞してくださったぞ。」

「すごーい!」

「あなたたちよりほんの数十年、早くにアイドルを卒業した先輩として、アイドルじゃなくなった未来でもずっと見守り続けていてくれる、そんな故郷のような曲を贈りたくてね。」

「とても優しいメロディーですね」

「2曲目は言葉の結晶、こちらはデビュー曲からずっとお世話になっているTwinkleさんから頂きました。メッセージによると『この曲を最高にWUGらしい曲にしてみなさい』だってさ」

「うわー難しそう」

「最後の課題、ってわけね。」

「3曲目は土曜日のフライト。この曲は早坂さんが手がけてくださいました。」

「なんか、意外」

「単調というか、淡々としてるね」

「早坂さんからのメッセージは、と。『このフライトに、誰一人、取り残してはいけないよ』だってさ」

「相変わらず意味不明」

 

「あー、それで、実はなんだけど。もう1曲。俺の方からもお前らに用意してきたんだ。」

「えー!」

「サプライズですぅ!」

「やるじゃない」

「タイトルはさようならのパレードっていうんだ。」

「松田さん、私、この曲好きです。」

「ありがとう。といっても、曲の方は昔の仲間に結構助けてもらったんだけどね」

「こんなスキルがあったなら、もっと早く言いなさいよね」

「この『私の歌は あかぬけなくて重たい』って、もしかして私のパートですか?」

「喧嘩してた時間も、今となっては懐かしいね」

「WUGが結成してからこれまで、みんながアイドルとして成長していく姿に一番励まされ力を貰ってたのは、実は俺なのかもなって思って。だから、ずっと一番近くでWUGを見ていた俺にしか書けない言葉を届けたくて。」

「うー泣けてきますぅ」

「俺は裏方だから、みんなと一緒に最後のステージに立つことはできないけど、だから代わりにこの曲でみんなの背中を押してやるから」

「松田さん、ありがとうございます!」

「それじゃあ新曲も出来たし、早速レッスンに行きましょう!」

「せっかく7人揃ってるから、通しでフォーメーションの確認しましょう」

「やるぞー!」

扉を開け、事務所を出ていく7人。

松田はまだ、扉の方を見つめている。

「新曲が4曲もあるってのに、あいつら、ホント逞しくなりましたね」

「そうね」

「では社長、俺は広報関係の方と打ち合わせに行ってきます。17時には事務所に戻ると思いますのでよろしくお願いします」

書類とPCを鞄にしまい、コートを着ようとする松田を丹下がじっと見ている。

「どうしました?」

「なんでもないわ。先方によろしく伝えといてちょうだい」

「はい、ではいってまいります!」

扉を開け、出ていった背中に、丹下は小さく呟く。

「あんたも随分、逞しくなってるわよ。」

 

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満員のI-1アリーナは、ライブ開始前から既に熱気を帯びている。

「ついに来たわね、、I-1アリーナ!!」

「本当、ここまで色々ありましたね。」

背後から足音が響く。

「本当におイモちゃんには色々苦労させられたよ」

「早坂さん!」

「やあ」

「来てくれたんですか?」

「たまたま通りがかっただけだよ」

丹下の耳元でこっそり囁く。

「早坂さんって絶対WUGのこと好きですよね」

「当たり前でしょ、嫌いなわけないわよ」

 

「がんばったな」

「なにか言いましたか?」

「なんにも、ほら、もう始まるよ。」

 

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ライブはいよいよ終盤にさしかかる。一面真っ白な光に包まれた彼女たちは、神々しい。

「早坂さんは、最初からこうなることがわかって、彼女たちに関わってくれたんですか?」

何が面白いのか少しニヤリとしながら早坂は答える。

「買い被り過ぎだよ」

「ですよね」

 

クライマックスを飾る4曲の新曲が順番に披露される。

「早坂さん、この前はありがとうございました。」

「なんのことだい?」

「いや、彼女たちに曲を贈ることを後押ししてもらえて」

「僕はただ、石を投じただけだよ」

順にスポットライトに照らされ、盛大な拍手が7人に贈られる。

「良い曲だね」

「ただ思ったことを書いただけです」

 

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さようならはいやだよ 慣れることなんかない だけど、、、

 

極上の笑顔で また会いたいんだ

 

早坂相のユニゾン!

~早ママのロンリーナイト人生相談~

みんなのアニキになんか絶対になりたくないし、なぜかオネエっぽいっと言われてしまうボク早坂相こと早ママ。そんな早ママがいたって真面目にみんなの悩みに真剣に向き合っていきますよ。

 じゃメールを読んじゃうよ。

 

 ラジオネーム、otaさん。

早坂さん、こんばんは。

私の悩みは、夢中になれるものが見つからない、ということです。

私はとあるアイドルグループを6年間、デビューから解散まで応援してきました。紅白に出場したり、リリースのたびにランキングを賑わしたり、そういう全国区の有名アイドルではなかったですが、地元を盛り上げるために真摯に活動を続け、寂しさや悔しさなどネガティブな姿もファンの前で正直に見せてくれて、そしてどんな逆境でも一生懸命に立ち向かっていく、そういうグループでした。彼女たちが頑張っている姿を見て、何度も励まされました。ファンだけでなく業界関係者も含めて、本当に多くの人に愛されながら、一番の輝きを残して彼女たちは解散しました。

私はそのアイドルグループが解散して以降、どんなことにも夢中になれずにいます。相変わらず仕事をしながら、休みの日には元メンバーのソロイベントに足を運んだり、他のグループや事務所の後輩ユニットのライブに行ったりと、決して楽しいことが全くないわけではありません。

しかし、ふと思ってしまいます。

「一人でも多くの人に彼女たちを知って欲しい」とネットで発信を続けたり、友人にCDを布教したり、ライブの前日には一生懸命ファンレターを書いたり、ライブ中大声で好きなメンバーの名前を呼んだり、そうやって、一方的な思い込みかもしれないけど「彼女たちと一緒に駆け抜けてきた」過去の方が、今よりずっと輝いているんじゃないか、と。

グループ解散後、ますます活躍を続ける元メンバーや、あるいは新しい世界で生き生きと楽しそうにしているファンだった人たちを見ていると、自分だけが過去に取り残されたように感じます。

とても面倒なことを相談しているのはわかっていますが、何か抜け出すための言葉を頂きたくメールさせていただきました。

 

と、なるほどね。

生まれたばかりの赤ちゃんが、ようやく二本足で立って、転ぶことを知った、そんなところだね。

結論から言えば、夢中になれることは必ず見つかる、ということ。但しキミが本当に見つけたいと望むのならね。

キミはアイドルを応援する、その日々にどうして幸せを感じたのかな。

これを読んだ感じだと、キミはずいぶん熱心なファンだったんだね。アイドルちゃんたちの晴れ舞台のためなら、微々たる給料と貴重な自由時間の多くを捧げてきたんでしょう。知らない人からしたらどうでもいいようなことに、どうしてこんなに夢中になれたのか。

 それはね、キミが応援するアイドルたちに真剣に向き合って、全力で幸せにしていたからだよ。

世の中はねえ、与えたものがそのまま返ってくるようになっているんだ。本気には本気を、適当には適当を、誰かを幸せにする人には、同じ分だけ幸せが返ってくるようにできてるんだ。

ボクはこれまでに多くの人に愛される曲をリリースしているけど、いつだってボクはボクの音楽で世界の彩りが増し、人々が豊かになって欲しいと本気で創ってきた。

キミはもうね、「こっち側」の人間なんだよ。美味しいものを食べたい、友だちと遊びたい、誰かに幸せにして貰いたい、そうじゃない。誰かを笑顔にしたい、支えになりたい、幸せにしたい。キミは無意識に飢えているんだよ、そういう人間の根源的欲望に。その欲をもう知ってしまったから。だからキミは今、自分を喜ばせる一方通行な娯楽じゃ満たされないんだ。

 いつまでも心地よい想い出の布団にくるまっていたいのなら、そうすればいい。キミの人生だ。誰に構うこともない。でもキミは今のままでいたくないから、こうしてメールを送ったんだろ?

別に何か特別なことをしなくちゃいけないと自分を追い込む必要はない。なんでもいい、目の前の何かに本気で向き合うんだ。深く一歩を踏み出してみな。その本気は、必ず見つけてもらえる。

ボクはもうずっとこの世界にいる、そんな僕から一言言わせてもらうと、人に幸せを与える側に参加できるということはとても嬉しく、また誇らしいものなんだ。

きっと君はもう、自分が進むべき方向はわかったんじゃないかな。

そうやって、君が誰かのことを想って一生懸命に一生懸命に生きた時、キミの中にかつて応援していた彼女たちがいる、そのことに気付く瞬間が必ずくる。なぜならそれは、彼女たちがキミたちファンに最後に託した「想い」そのものだから。

だからさ、立ち上がって、こっちにおいで。待ってるから。

 

さ、このコーナーではみなさんからの真剣なお悩み募集しています。人生の深い悩みでもライトな悩みでも恋愛に関することでも何でもOK。以上早ママのロンリーナイト人生相談でした。

 

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というわけで、本記事は『Wake Up, Girls! Advent Calendar 2020』21日目の記事です。

adventar.org

何度も何度も聞き返している僕の大好きなラジオ「鈴村健一のユニゾン!」を逆輸入した早坂さんの架空ラジオ番組を認めてみました。笑って泣ける、ラジオの良さが全部詰まった1時間でした。

WUGの解散が発表された時もそのひとつですが、ユニゾン!が終了してから何度も「今、木曜ユニゾン!があったらなあ」と思うことがあり、ただその想いのまま書きましたが、齢27の若輩者には鈴村さんや、まして早坂さんの域の言葉など全く浮かばず、ただただ等身大の自問自答になってしまいましたが。

アニメ「Wake Up,Girls!」は本当に僕の尊敬する声優さんが数多く出演されていて、しかしユニットの解散にあたって、直接コメントを寄せるような機会がない人の方が多かったように思いました。大先輩からしたら長いキャリアの一役に過ぎない、その事実が、WUGもその声優さんも両方好きだからこそ、少し寂しく感じました。だからこそHOMEツアーやSSAで白木さんや大田さん、丹下社長に松田さんに早坂さんの録り下ろしの音源を聴けたとき、ああこの人たちの人生に「WUGの最後」をほんの少しでも想ってくれた時間があったんだなあと実感がもてたので、計らってくださった方々に心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。

音源、遺してほしかったなあ。。

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こちら下書きに眠っていた『Wake Up, Girls! Advent Calendar 2020』のボツ記事を、当時ラジオが放送していた木曜25時に供養します。

あれから2年、なんとあの木曜ユニゾンが形を変えて帰ってきました!

joqr.co.jp

この記事の元ネタ「ロンリーナイト人生相談」コーナーも復活!ワグナーもそうじゃない人も、ぜひ聴いてみてください。YouTubeアーカイブも公開されていますよ。

Wake Up, Hotels!

 ビジネスホテルが好きです。一泊5000円くらい。ごく普通の。

 温泉付きの旅館や豪華なタワーホテルも勿論好きなのですが、あのベッドと机だけで8割を占める、寝泊まりするための最大公約数を狙ったような空間にいると、不思議な非日常さと自由を感じられるのです。

 高校を卒業して家を出るまで自分の部屋というものを持てなかったからかもしれません。フロントで、カードだったり、長細いアクリルキーホルダーがついた鍵だったりを受け取って、エレベーターに乗る。目的の扉を探し、少しの緊迫感に駆られながら鍵を開けて部屋に飛び込みすぐさまチェーンをかける。するとそこは僕の城になる。靴を脱いで、狭い机に乗ったルームサービスの紙をどけて、コンビニで買ったカップ麺やお酒、ご当地のつまみなんかを並べたら完成。どこのメーカーかもわからないような小っちゃい電気ポットでお湯を沸かし、テレビを点けて、観るでもなくぼーっとする時間にどうしようもなく生を感じます。

 WUGちゃんと出会って、24年間ほとんど関東を出たことがなかった僕が、東北をはじめ本当に多くの場所に初めて足を踏み入れました。遠征で宿泊したホテルの数々の記憶は、WUGちゃんと過ごした楽しい思い出とともにあります。

 というわけで、2022年WUG Advent Calendarの初日に、WUGと歩んだ20代半ばの僕の、ちょっとした冒険の懐古にお付き合いいただけたらと思います。

 

・レイフォントダウンタウンホテル上海(上海徐匯瑞峰酒店)

 初遠征初海外初一人旅。初めて尽くしの3泊4日。当時名ばかり大学院生で時間だけはあったこともありますが、結構思い切りました。それくらい良かったんです、当時のWake Up, Gils!は。4thライブ、東京の大千秋楽に参加した僕の一番の気持ちは「もう一回4thツアーに参加したい!」でした。むしろ今でも参加したい。4thツアーもう1回参加したくない?

 来年もツアーあるかなあ、ないかもなあ、ツアーがあるのは当たり前じゃないしなあ、、なんて思っていた矢先に発表された上海公演。今振り返っても本当に色々なことがあった4日間でした。寒空の下、物販で財布を空にして呆然としていた僕に、喫茶店で温かいコーヒーをご馳走してくれて、初対面なのに二時間くらいWUGの話で盛り上がってくれたワグナーに今でも感謝しています。

 そんな上海遠征で3泊したのがこのホテル。ノウハウが全くなかったのでHISの出来合のツアーに申し込むという初心者ムーブ。危ない橋はわたらない主義なので。結果的にこの選択が道中の沢山の戸惑いと焦りを生むことになるのですが。。

 上海のホテルはここしか知らないので、他と比較したり国を包括した特徴をあげることはできないのですが、綺麗で普通に良いホテルでした。朝食を除いて。フロントも礼儀正しく、確か最初の2泊は予約していたクラスの部屋が空かなくてワンランク上の部屋をあてがってもらいました。日本語は通じなかったはずなので、その会話を一体どうやってやったのか全く思い出せませんが。

 朝食はビュッフェ形式。白ご飯はなく主食はチャーハンとパンだけだったような?うろ覚え。唐揚げっぽいのがあって、食べてみたら滅茶苦茶固く、なんだこれとひっくり返したら鶏の頭そのものでした。全体的に冷めてて不味く、次の日からはファミマでパン買って食べました。

 

デニーズ郡山東口店

 東北ろっけんソロイベントツアー。青春十八きっぷ。金欠。

 あっという間に終わった学生最後の一ヶ月、間違いなく人生で一番楽しかった時間です。本当にお金がなく、卒業旅行で泊まったホテルが一泊2000円とかだった気がします。

 そんな中、東北を巡ったソロイベツアー。郡山駅西口に降り立ち、クラッチバッグを片手に颯爽と歩く若者とそびえ立つヨドバシカメラを見て「新宿じゃん!」って思ったのをよく覚えています。ふるさとの温もりを唯一感じなかった土地、郡山。打ち上げの居酒屋を出て、始発までの時間をドリンクバーだけで過ごしました。学生だねえ。ビルが並ぶ西口とは打って変わって、東側は片田舎な雰囲気で、吹く風は強かったです。

 帰りの鈍行列車で死んだように寝ました。

 

ホテルサンライズイン (岸和田)

 HOMEツアー最初の宿泊。昼公演と夜公演の間にチェックインして一息つくのが、やがて恒例行事となりました。だんじり祭りを横目に見たのを覚えています。

 朝食はこじんまりとしたスペースでした。朝向かうと既に一組、ワグナーらしき人同士が談笑していました。今知り合った同士らしく、推しの確認などから探り探りWUG談義をしていて微笑ましかったです。いいぞワグナー、もっとやれ。

 

・第2サンライズホテル (熊本)

 熊本。路面電車、風俗街と鳥の糞。

 会場周辺は大きなアーケード街があり、会場に向かう途中は「仙台みたいだなあ」とちょっとワクワクしたのも束の間、歩道橋を渡ろうとすると塗装?というほど鳥の糞で覆われていたのが印象深かったです。

 ラーメン・馬刺し・お酒etc. 熊本はとにかく口にするもの何もかもが美味しかったです。ライブの打ち上げ後、ホテルまでフラフラ歩いてベッドにダイブする瞬間の幸福に勝るものなどありません。

 

・ホテル ニューナガノ

 雪。雪。見渡す限りの雪。

 前泊して正解だったなあと、ホテルで窓の向こうを眺めたような気がします。この道中一番印象に残っているのは、長野駅Suicaに対応していなかったことかもしれません。こんなデカい駅でそんなことあるんですね。

 天候も天候だったので基本ホテルに籠城しつつ、お腹がすいたら駅前のラーメン屋さんで味噌ラーメンを食べ、コンビニで色々買い込みまたすぐホテルに引きこもりました。そういえば、帰りの電車で食べたソースカツ弁当もキャベツシャキシャキでソース染みて美味しかったです。

 あの日、半径1km以内でWUGちゃんが雪合戦していた空間にいられた幸せを噛み締め、今日も眠ろう。

 

東横イン 仙台駅西口中央

 毎度お馴染み俺達の東横イン。宿については改めて特に語ることなし。仙台公演初日の打ち上げでほろ酔ったまま綺麗なベッドにダイブする瞬間の幸福、久しく味わっていません。

 今回狭い机の上に並べられたのは熊谷屋さんのサメだったと思います。美味しく頂きました。

 

・ロイヤルパインズホテル浦和

 みんなで来られたSSA。終わった直後、他のワグナーさんは、皆何を想いましたか?

 7色の光で埋め尽くされた会場、7Girls Warの後ろで流れていた4thライブの映像、運命の女神のインスト、鍵を探さないSHIFT、みんなと食事に行かないかもしれないかやたん、予定調和のトリプルアンコール。

 終演アナウンスでとぼとぼとお見送り会の列に向かって数分、アドレナリンが溶けてなくなり剝き出しになった疲労と眠気が僕を襲いました。SSA公演の一番の感想は「本当に本当に疲れた」でした。夜行バスが大宮駅に着いてからその時まで、自分が思っていたよりもずっと気を張っていたんだなと気付かされました。

 ぼーっとした頭で考えたのは、このWUG史上最高を刻んだ心と体が、次目覚めるのが本来寝床でない打ち上げの席とかだったら嫌だな、ということでした。WUGだった最後の記憶を、WUGのいない最初の一日を、明るく心地の良い朝を目覚めたい。

 ということで大行列に並びながら、打ち上げの断りの連絡を入れ、会場周辺の宿泊地を探しました。Googleに一番にレコメンドされたのが、普段だったら絶対泊まらないような「格」のホテルでしたが、今日を惜しんでどうしようと即決しました。

 浦和駅で自分の中の野生が「何か食わねば」と訴え、とはいえ店を探す余裕などなく、全然そばの気分じゃなかったけど通り道にあった富士そばに入り、カレーを2分で平らげました。

 ホテルはエントランスから格式の高さを感じられ、ラウンジでイケてるサラリーマンが外国人相手に英語で談笑していたのを覚えています。

 ”予約していたコ口です”

 フロントで発そうとしたその言葉が、声が枯れていて全く出なかった時、俺は今日、全力を出せたんだ、良かった、、と悟りました。

 部屋に入り、スマホを充電し、服を脱ぎ捨て風呂に入りました。シャンプーとかもボトルから豪華。バスタブも広くて最高でしたね。

 髪を乾かし、テーブルの上にウォークマンと当時愛用していた緑のヘッドホンを置き、眠りました。

 目覚め、最初にWUG組曲を目をつむり、聴く。この曲たちはWUGがいない世界のために創られた曲だと思っていたので。

 チェックアウトは12時まででしたが、帰りの新幹線の予約時間から8時くらいにはホテルを発ちました。朝ごはんは松屋かなあなんて考えながら、扉を閉めました。充電器を置き去りにしたまま。。。

 

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おわりに

 WUGちゃんが解散してからもうすぐ4年くらいでしょうか。その期間によるものだけでなく、そもそもライブ中に7人が見せてくれた眩しい時間は、焼き付いて離れない!と言いたいところだけども、どうにも上手に思い出せないなあというのが本音です。

 ですが、会場までの道地だったり、食べたご飯だったり、ライブ前後にオタクと話したことだったり。WUGちゃんのライブがあったことで見せてくれた、そういう副次的な景色は、今でも色濃く蘇ります。夜寝る前にそうやって記憶をなぞることで、WUGちゃんが今でも自分の心の中で生き続けていることを感じられます。

 こんなご時世になったことも相まって、最近めっきりWUGについて話をする機会もなかったので、こうやってワグナーが集まってあれこれ書ける機会はありがたいですね。

 今年もあと少し、がんばっぺ。

WUGの新章

 今年もアドベントカレンダーの季節ですね、毎日個性織りなす数々の投稿を楽しませて頂いています、助手のコ口です。
 なんとなく、鷲崎さんの言葉を借りると「盗まれてしまったような一年間」に、さらに丸々WUGちゃんがいない最初の一年ということもあってか、みんな色々なフラストレーションが爆発したような想いの詰まった文章たちに、毎日それこそアドベントカレンダーを開ける子どものようなワクワク感で記事を読ませて頂いております。僕はやっぱりオタクの書いた熱い文章や、一癖も二癖もある斜に構えた文章が好きみたいです。皆さん、まだWUGを好きでいてくれてありがとうございます。

 そんなわけで、この文章は「Wake Up, Girls! Advent Calendar 2020」の19日目の投稿記事です。
adventar.org

 2020年にもなってこんなにも沢山の人が平成のアニメ・声優ユニットに対して熱量をもってくれて、更にはその人たちと文章を繋いでいく企画に参加できることが、凄く嬉しいしありがたいです。いつも感謝。

 今日はSSAの想い出ポエムシリーズ、これまで入場待機列編、Polarisのまゆしぃソロ編、お見送り会編と書いてきたので、今回はクリスマスの思い出もあるこの曲について書きたくなったので書きます。

 3月8日の朝、夜行バスから降りた時から、3月9日、南浦和駅のホームでかやたんのMCについて呟いたらワグナーが同時に同じ内容呟いてて恐怖に震えた瞬間まで、大切なアルバムを捲るように、今でも何度も思い返すのですが、この機会にその記憶のひとかけらをまた書き残したいと思います。






 そして物語は次のページへ。






 Beyond the Bottomのアニメ映像が流れる中で、「え、もうBtBやるの?!」と過ったのも束の間、その言葉がモニターに映し出された。
 「新章?ってことは7Sen…」と思った矢先。

 流れ出したイントロ、照らすライトに、全てを悟る。
 そうなんだよ、「この曲」こそがWUGちゃんの新章なんだよ。解釈の一致に嬉しくなる。ブレードを瞬時に白に切り替える。この曲は絶対に白だ。
 協会広場であんなに近くで観たのが信じられないくらい遠く感じる。ステージのWUGちゃんは200レベルの端っこでは豆粒のようで、七人の区別もつかない。少ないインプット情報の隙間を飲み込むように、思考が一気に加速する。



 2017年。何度も何度も思い出す、WUGと出逢って始まったもう一つの人生。ラブライブ!にハマったのも、Five Starsにメール投稿していたのも、灼熱の卓球娘を観ていたのも、暴れん坊ラジオで笑っていたのも、全部全部WUGと出会うために必要な時間だったと思えるくらい。

 また新しいアニメが始まる。WUGちゃんたちの次の物語を見ることができる。
 三次WUGちゃんが外の世界で実力とファンを獲得し、また集まる。
 もっと多くの人に、絶対に届けるんだ!
 思えば、Wake Up,Girls!というコンテンツに対して、それが最初に抱いた当事者意識だった。その物語にタイアップしたような曲が、このOne In A Billionだ。この曲は圧倒的に物語における文脈だった。フロンティアを、茨の道を切り開いていったWUGちゃんとワグナーが、最初に報われたご褒美のような曲だった。


 余談ですが、この文脈を、僕は是非ともアニメのWUGちゃんにも輸入してほしいです。レコード会社的に難しいかもしれませんが。
グループでのアイドル活動が停滞期を迎えた時に、人気アーティストのSNSの投稿をきっかけに少しずつし潮目が変わり始める、みたいな。この、空想よりよっぽど物語チックな現実を、二次元のWUGちゃんの物語でいつかみたいです。


 七人のソロリレー。May'nちゃんには敵わんなあと感じていた4thツアーの日々が嘘みたいに、遠慮も引け目も感じさせない7色の個性が出た開幕。
 扉からワクワクが弾け飛ぶように流れるイントロ。みんなが一斉に跳び始める。この曲で、かかとを太ももにつけるくらいの勢いで5歳児みたいに本気で跳ぶ、それが堪らなく楽しい。
 カッコよくて可愛くて心底楽しい。
 MVも本当に好きで何度も何度も観ました。キャラクターに縛られない七人の魅力が一番引き出されるようなヘアアレンジ。この頃はまゆしぃのことカッコイイと思っていたんだよなあ。

 サビの掛け合い。「ドキドキ」「ペコペコ」あたりで「間違えたらどうしよう…」という不安から小さくなりがちなオタクのコールが、「One In A Billion!」っで一斉に揃い、ブレードを掲げる瞬間が好き。
 「きっと始まる」でマイクを両手で握りしめて駆けだす可愛い振付、七人の表情、堪らなく好きで何度も振りコピして、でもステージ上の演者と目が合った時はちょっと恥ずかしかったなあ。
 2番サビ「スパイス」コールに全身全霊をかけていた阪神ファンの友人の狂気を思い出した。

 「昨日まで知らない奇跡に出会える」

 ハートラインにしろ、Wake Up,May'n!の曲は出逢いについて歌われることが多い。三次元のWUGちゃんたちが、未だ多くの人に愛され応援されているのは、出会った誰しもが彼女たちの真摯さ・一生懸命さから何かを受け取ったからだと思う。彼女たちはそうやって多くの人の後押しで「新章」を獲得していった。この曲はまさにその物語の象徴と言える。

 アウトロが流れて、再び跳び始めた1万3千人。心の中のワンビリ警察が観客を必死に制止する。「待て待て早まるな。この曲は意外とアウトロが長い。そんなペースで跳んだら素人は最後までもたんぞ。それに、ここからだぞ、ここからが、この曲で一番の聞きどころだ。黙って聞くんだ、山下七海さんの声を!!!」僕は耳を研ぎ澄ます。

 「ワグナーさんへ!私たちと出逢ってくれてありがとう!そしてMay'nちゃん!私たちと出逢ってくれて、ありがとう!!!」

 あぁぁぁ!膝から崩れ落ちながら白のブレードを握りしめる。May'nちゃん、息してるか!?


 この曲が一番好きだと思った。
 7 Girls Warが流れた時も、運命の女神が流れた時も、Polarisが流れた時も、その曲が流れ始めた時、全部、この曲が一番好きだと思った。
 どの曲も、自分の中でWUGと過ごした沢山の時間が育んだ、大切な曲だ。

 音楽が記憶を刺激し、夢のような現実と想い出たちが思考を乱し、至上のエンターテイメントに酔いしれていた。
 楽しかった。
 本当に楽しかった。
 誰よりも高く跳んだ。
 この曲を二度と観ることが叶わない哀しさなんて、微塵もなかった。

上手に忘れて

『今、幸せですか?』

153:52。

出勤の車、ウォークマンのシークバーを操作する。ライブBlu-rayから音声だけを抜き取ったmp3ファイル。朝起きて、会社に行って、会社から帰って、寝る。ただ生活をしているだけで悲しみはそこここに積もる。失った何かを取り戻すように何度も何度もその場所から再生を始める。

「WUGを見つけてくれてありがとう」

「出会えて本当に良かった」

「私を信じて付いてきてください」

「無駄なものは何もなく」

「私を声優にしてくれてありがとう」

「これからも元気で生きてください、大好きです」

現実のしんどさに比例するかのように鮮やかに蘇る想い出たち。虚ろな視線で信号の赤を眺め、ふと、七人も、みんなも、こんな風に思い出す時があるのだろうかと思う。

あの日、確かに頷いたその問いかけに、応えられないでいる今、目に映るものを、聴いたことを、心に残った景色を、そのまま書き遺そうと思います。

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『紆余曲折があって、そしてまた第二章がどこかで待っているのかな』
山下七海のななみんのねごと 第二回 (2019年3月21日放送)

「私はいつあの3月8日を越えられるのかっていうのを凄く考えるなあ」SSA後最初の生放送にて山下七海さんから発されたその言葉に、僕も全く同じ意見だった。これからの時間は、第二章を、WUG以上を探すための永い旅路の途中なのだと、そう思う。わかっていても立ち止まることしかできない僕をよそに、彼女は離れていく。

 

『あの人、最近イベントで見かけないなあ』
かやたんのあくありうむ限定ボイス(2020年2月3日配信)

「4月からも私のことを応援してくれる人が、果たしてどれくらいいるんだろう?」ベッドに横になりながら発される少し擦れたその声は、かやたんの感情がそのまま鼓膜に届くようにさえ感じた。
今でも鮮明に思い出されるKADODE仙台2日目昼公演、MCであいちゃんのHIGAWARI PRINCESSがいつ以来かという話になった際に、それが自分にとってあまりに特別な日だったため、感に堪えなくなり「1年!」と声を上げた時のことだ。よっぴーとかやたんが最前列にいた僕の所に来たのだ。まるでステージ上のメンバーに近付くように、本当にごく自然に。

「何の公演だったっけ?」「チャ、チャリティー、、」「そっかありがとね!」

呆然としながらも、その時に改めて悟った。ああこの人たちは本当にワグナーを信頼してくれているし、特にこの二人はオタクに対しての境界線というものをとっくに取っ払ってしまっているのだと。

そんなかやたんに、解散がもたらしたのは、どんな時間だったのだろうか。

WUG解散後、七人同様、ワグナーの進む道もまたそれぞれだった。「ワグナーの解散」と冗談交じりに悲しんだのは、もしかしたらワグナーだけではなかったのかもしれない。

 

『あの一瞬で「ガチ恋」に落ち、人生で至上の体験を得た』
株式会社VARK 取締役就任のお知らせ(2020年10月8日)

はじめ、なぜそのツイートが拡散されているのかわからなかった。記事を読み、驚きと嬉しさでいっぱいになりながら、これこそが「あるべき第二章」なんだろうなと思った。次の感動の原体験を生み出すこと。貰った恩を返すこと。この人は、WUGを糧にし前を向き、そして上手にフライトしたのかもしれないなあと羨ましさを隠せなかった。

 

『そういえば、ライブの夢見た。』
@yoshioka_mayuC(2020年10月14日)

お昼休み、ふと投稿されたまゆしいのツイートに、多くの人が答えた。「みんなって誰だろう」

わかっているくせに問うてしまう。

 

『前向きな気持ちで送り出すだけにしちゃうと、それに取り残されてしまう人もいるのかもしれない』
シンセの大学『田中秀和のあたまのなか』(2020年10月23日放送)

田中秀和さんとは、コロナウイルスの騒動がなければ、本当の意味で出会えてなかったのかもしれない。彼の素を知るきっかけはYouTubeチャンネルの開設だった。淡々と話る声は温かく、七人への想いやファンへの誠実な姿勢は、いつしか日々に潤いをもたらす存在となった。2020年3月8日のTwitterでの投稿、シンセの大学でのゲスト出演と、触れれば触れるほど彼の人間性に魅了された。土曜日のフライトに込められた「解散後も淡々と続いていく日常の、ネガティブな気持ちに寄り添える曲になったら」という想い。ユニットから離れれば離れるほどに魅力を増す、解散により命を宿し今なお鼓動を続ける、そんな曲だ。

 

『素敵だったんですわ、私達って』
鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイト(2020年11月2日放送)

解散前、何かと伝説を生んだ鷲崎健のヨルナイト×ヨルナイトに初めて一人で出演された青山吉能さんを見て、そういえばこの人は、いつもステージ上でマイクを通してワグナーの気持ちを代弁してくれる人だったなあと思い出した。ふと彼女のWikipediaを見返してみると2019年以降も数々の出演作と黒太文字のキャラクターたち。外からは役者として着実にキャリアを駆け上がっているように見えても、内側から見える景色はきっと違う。

ユニット解散後って、その頃の輝きが強ければ強いほど、なんとなくユニットの話ってしにくかったりする空気になりそうですが、むしろそうやって置き去りになった自分の心にそのまま寄り添ってくれる、そういえばWUGってそういうコンテンツでしたね。

いつだって境界線の「こっち側」に来て、気持ちを言葉にしてくれるよっぴーに背中を押してもらえたから、こうして素直な言葉を綴れるような気がします。全然上手に忘れられない。頭の中のわっしーがツッコミを入れる。

 

「お前すごい引きずってんな!」

 

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『いつでも帰っておいで』

 

 

その当時に知ったような気になって共感した感情が、実は全然重なっていなかったのだと最近思います。

一年ぶりに実家に帰ったら更地になっていました、助手のコ口です。

なんてことない、来年の三月のリフォーム完了まで一時的に借り家に避難しているとのことです。徒歩数十秒の所にちょうど一軒家を貸してくれる人がいたなんて数奇なこともあるものです。

実家への帰路、8ヵ月ぶりに乗った電車は、マスクをしていない人がいない、寒風が入り込むのに窓が空いているなど挙げていけばちょっとした違和はあったのかもしれませんが、少なくとも僕の目には8ヵ月前と何も変わらぬ日常がそこにあるように感じました。最寄り駅には退屈そうな父の姿が。学生の頃なら辟易していた四輪駆動車の出迎え付きVIP待遇に今は少し安堵している自分がいました。

運転手に任せるまま到着した仮宿で恐る恐る敷居をまたぎましたが、カビだらけ埃だらけモノだらけの旧家を思うとなんと綺麗なんだと。中に詰まれた段ボールは極力解体しない方向のようで、そのおかげか室内も珍しく適度に秩序だっていました。間取りは変わってもテレビの前という正ポジションは誰にも譲らない、そんな変わらない母の姿に、ああ帰ってきたのだなあと。

「いつかは自宅を図書館に」が口癖の母が収集した本・マンガ・CDは収納ボックスのまま移動させたのか壁に陳列されていて、第三の壁と化していました。そんなCDラックの先頭にはまさかの煉獄さんが。よもや鬼滅ブームが、LINEもやっていないような昭和と共に置き去りにされたような我が家にまで来ていたとは。朝から晩まで放映しているにもかかわらず劇場のチケットが取れないと嘆く声を聴くと、同じように朝から晩まで放映していながら土日だろうとガラガラな岐阜の劇場との地域格差を感じずにはいられませんでした。

本日お泊りする部屋には既に布団が敷いてありました。なんとも至れり尽くせりなことで。ロフトに続く梯子には洗濯物を干すあれがかかっていて、ロフトとはどうしてかくも肩身の狭い存在なのだろうかと寂寞の思いに。着替えを持って僕のために沸かせてあるお風呂に向かいます。

一日ぶりの湯船に浸かり、久しぶりの公共交通機関による疲れを洗い流します。用意された寝間着にそでを通し、鏡の裏にある魔法のような収納に隠されたドライヤーを慄きながら使用していると、晩御飯の準備が整いました。

八時過ぎたら炭水化物は食べない、太るし節約だ。と普段なら心を女性声優にしている僕ですが、今日の今日、実家にいる時くらいと大好物の山盛り餃子、酢の物、ほうれん草の胡麻和えをモリモリと食べ、久方ぶりに摂取した高カロリーを存分に消化しました。帰省のたびに毎回作ってくれる母の餃子は、学生の頃から変わらないボリュームで、そんな時、自分はいつまで経っても子どものままなんだと気づかされます。夕食の席では父と仕事の話を弾ませました。40年近く会社にその身を捧げてきた男は、社会に出て3年目の若造の悩みをうんうんと聴いて、沢山の正論で返してくれました。食後にハーゲンダッツを食べながら、お茶を啜りながら、ご当地あるあるを繰り返すお笑い番組を3人で眺めながら、ただただ時間を過ごしました。こっそりと翌日の高速バスの予約をすませ、さも決まっていたかのように明日の出発時間を伝え寝室に向かいました。お供に鬼滅の刃を抱えて。布団越しの床の硬さを感じながら眠りにつきました。

5時50分、いつものように目を覚まします。ドラキュラ生活をしている母が寝坊をしないように夜を徹していることは承知の助。出発の9時までまだ時間がありました。僕は母と話をしました。いつの間にか父も起きてきました。母が作ってくれた、胃もたれしたお腹に優しい出汁の香りのするうどんを二人で啜りました。

玄関を開けなくてはいけない時が来て、両親に見送られる時、止まらなかった涙を見られたくなくて、すぐに前を向きました。

仕事を休職して、毎日つらくて、でも何で上手くいかないのか、何がつらいのかもわからず、誰も頼ることができず一人で抱えて、悩んで。それでも時は寄り添って立ち止まってはくれなくて。

本当に嬉しくて本当に悲しくて本当に申し訳なくて。こみ上げてくる気持ちが抑えられなくて。自分は一人じゃないんだという安心感が。この安心は、当たり前のものじゃないんだと、僕のことを自分のこと以上に想って大切にし続けてくれてる人がいるからなんだと。そしてこの温もりは永遠じゃないんだという残酷さが。もう与える側にならなくてはならないのに、27にもなって未だにこんな自分でいることのもどかしさと悔しさが。どうしても忘れたくなくてこれを書きました。自分のために。忘れないために。

 

あの日、SSAのステージで泣きながら、震える手で手紙を読み上げる7人の気持ちが、今ほんのちょっとだけわかったような気がしました。

HOMEの意味が、こんな自分のことをそう呼んでくれたことの意味が、あの頃より切実に染みる気がします。

玄関で見送る両親の、子どもの頃よりずっと増えた皺や白髪を見て、土曜日のフライトの切ない音が胸に流れました。